博士課程・社会人で後悔することの話

0.この話の背景

博士課程に進んで後悔・進まなくて後悔とは何が原因で起こるのか。

私は物理工学の修士号を取得し、現在はデータ分析・IoTに関連する仕事をしている。博士号を取得しておけばよかったと思うこともこれまで幾度となくあった。しかし、博士課程に進学していても、民間就職してみれば良かったと思うのであろう。

最近とある企画の仕事をしていてふと、その原因を考えてみたのでここに書き記しておきたい。

 

1.何が原因か?

自分に限って言えば、上記のような天邪鬼ともの言える態度を噴出せしめる原因は、Willがないからだろうと判明した。Willというのは今後どういうことがしたい、どんなことが達成したいという意思のことである。

Willがないが故に、自分自身の関わるものを選択することが与えられたものの中から選びがちである。しかも、その選定基準が時々の興味に大きく左右されてしまうので一貫性が欠けるのである。

一貫性がないことが悪いことではないが、ある程度の核となる哲学がないとふらふらしてしまいがちだ。Willがないことの際たる弊害は、自分の関わることへの興味関心のスイートスポットが狭くなってしまうことだ。時々に興味が移り変わり、スイートスポットが狭くなる。これは何が起こるかというと、隣の芝を青く見て、どんどんと移り行ってしまうのだ。目的達成のための手段を変えるのは正解だが、目的地がないなかで流浪するのは浪人である。

 

3.どうすればWillは見つかるのか?

普通の人が普通に過ごしていてもWillなんてもんは見つかるわけがない。

そもそも人間(動物)はキャリアデザイン的な意味合いでのWillは本能的には実装されていない。マズロー欲求段階の最初の段階が最も本能に近いのだ。それゆえ、日々を坦々と過ごすだけではWillは生まれない。

Willを見つけるには、早い段階でプロトタイピングをしてみることだ。プロトタイピングとは、自分の興味とその周辺の事柄に手当たり次第アプローチし、お試しをしてみるのである。プロトタイピングで重要なことは、始める前も始めた後もすぐに自分の評価を挟まないことが重要だ。「自分は向いていなそう」「雰囲気が無理」「今日は雨だから・・・」など理由をつければやらない理由はすぐに見つかる。プロトタイピングなのだからすぐに始めて合わなければ、変えれば良い。

次にするべきことは、いくつものプロトタイピングを重ねて、企画を作ることだ。企画とは、文字通りWillが要求される思考プロセスである。例えば、プロトタイピングとして、ウェブ広告の会社にインターンしたとする。その時、「ウェブ広告のこの会社で、自分はどんな企画をやりたいだろうか?本当にやりたくなる企画、面白い企画はなにか?」を5W1Hで考えてみるのだ。考えてみたら友人でも知人でも誰でもいいから捕まえて企画のアイデアをぶつけてみる。ぶつけてみるとネガティブな反応が多いだろう。その時に、相手ではなく自分を観察してみるのだ。「いいアイデアは理解されないよね」「コアのアイデアはよかったけど、この部分のみ修正かな」という具合に楽観的に自分のアイデアが受け入れていられるかを感知するのだ。なんだか否定されたような気がする。。。そのように感じる理由は、Howの部分を考えていたからであろう。HowではなくWhatを考えれば揺るぎはない。

4.大学院進学に迷っている学生と自分自身へ

就職するか、研究するのかというのは手段でしかない。就職も研究も自分のWillに向けた手段と捉えて利用すればよい。世界は与えられたものでなく自分で広げればよい。

重要な論点はどの環境を与えられ選ぶのかではなく、自分のやりたい企画は何かがあるかいなかである。仕事はお金を得るために坦々とするものであるという意見にも私は大賛成であるし、やりがい幻想なぞ以てのほかであると思っている。しかし、限られた命を生きるのであれば、やらされていることばかりでなく自分で何かを作りワクワクしてもいいと思う。

幸いにして、私は企画の仕事をしてから自分自身のWillを見つけることができた。アカデミアに戻りたいと思い退職したりしたこともあったが、その経験があるから、他の人には認知の幅のせいで論点を誤ってほしくはないと願っている。