「自分で考える」の難しさ

「自分で考える力」(著作:狩野みき)の授業というのを読んだ。

読んだ中で、2点良いなと思った点がある。

1. もやっとしたことは言葉にして、認めること
2. 主張には責任が伴う

 

 

  不安感やイラつきという感情のほどんどは、自分がイラつき自体を認知していないからではないかと思う。
例えば、下のようなものだ。
(もやっとポイント):プロジェクトスタッフが、ポンコツで仕事のクオリティが低いから結局自分でやらないといけないじゃないか。
言語化):職責を果たさない奴のせいで、自分の時間が奪われて不合理だと感じる。職責を全うするように伝えたい。

  言語化したときに、相手を攻撃する方向にならないことも重要だ。
ムキになって論破した先に、何が得られるというのか?
相手は余計に動かないし、次のコミュニケーションも取りにくくなりそうだ。
相手に伝えたいことがあっても、自分自身が自分の意見から一歩引いて伝えるという姿勢。
  文中には、相手から批判的意見・理不尽な意見があったら、まずは一歩引いて本題に話を寄せるという話があった。

  これは、自分自身の意見に対しても言えることだと思う。私は、文面で批判されると冷静に考える方だと思うが、相対している人間がいるとどうしても相手の顔色・リアクションを見てしまうのだ。そうすると、相手の一挙手一投足に自分の思考が振り回されてしまい、相手を論破することに熱心になってしまう傾向がある。
  だからこそ、誰からも、自分自身からさえも「一歩引いて」おこうと思うのだ。

 

 

主張には責任が伴うというのは、想像してみると当たり前の話。
「~~するべきです!」「~~がいいと思います!」「~~がダメです!」という主張を仮にした時に、次に求められるのは、じゃあ、あなたはこのテーマに対して何をして、どう貢献するのかということ。

  直接的に「あなたは何を次しますか?」と質問してくる人は、多くはないが心の中では思っている人は多いのではないか。
  行動したからいいというわけでもないのは難しいところ。私はこうしたい!だから~~してます!という人はたくさんいるが結局は、自分のポジションを取りたいだけの自己満足でしかない。

  人間生きてること自体が自己満足の塊なんだから、別に悪いことではないと思うけど、そういう人と一緒にプロジェクトや地域の活動をしたいかというと私は積極的にYESとは言えない。

 

 

このエントリーを書いている、私自身も1.と2.は出来ていない部分も多い。
日々の積み重ねで、少しでも考える力を向上させたいものだ。