Imagination

Louis Pasteur(1822-1895)の言葉で、こんなのがある。

Imagination should give wings to our thoughts but we always need decisive experimental proof,andwhen the moment comes to draw conclusions and to interpret the gathered observations, imaginationmust be checked and documented by the factual results of the experiment.

想像力は、実験事実に基づいてチェックされ、文章によって立証されないといけない。

どんな場面でも、遭遇することだけど、議論し意思決定をするためには、何がしかの客観的な根拠が必要。
データ集め、シミュレーションをする人間が工学倫理を守るっていうのは、当然として、そのデータを大切にしないことには、何も進展しないし、意思決定の方向性も揺らいでしまう。このスタンスは、特に、意思決定権を持つ人間にこそ求められるものだと思う。

震災があってから、世の中の文化っていうか、各個人のスタンス、メディアの報道から政治的な意思決定に至るまで、何かしら変化することを期待した。
「データを大切すること」「データに基づくこと」っていうスタンスがある程度、いろんなレベルで浸透していくかなって1mmくらい思っていたけど、実際はそうでもない。SPEEDIの情報公開もそうだし、原発を撮影した衛星情報も。津波の被害把握っていうところも。
なにも、政府レベルに限ったことじゃない。
民間レベルの人に「〜〜というデータがあって、〜〜根拠があるので、〜〜してください。具体的な今後の方針、その根拠を合わせて、回答してください」っていうことを伝えても、「自分の意見なのか」「客観的なデータ」なのかの区別すらつかない、想像に基づいた回答が返ってくることがしばしばある。
メディアの報道は、言わずもがな。

「データを大切にする」っていうスタンスが浸透しない理由には、色々あるんだろうけど、将来の知的生産性を担う若い人の間には、このスタンスが共有されるようになればいいなと個人的に思う。それに加えて、勝手に想定したヒエラルキーとか、強迫観念に縛られないことも重要かな。