会社を辞めた話

当エントリーの概要

売り手市場の就活市場において、新卒で某コンサルティングファームに入社するも自分の望む労働環境とはかけ離れており、退職することを決意した。物事を選択する際の失敗例として反面教師にして頂くことが本エントリーの目的である。

当エントリーの目次

Ⅰ. 物事を選ぶときの4つの軸
Ⅱ. コンサルティングファームを選んだ経緯

Ⅲ. 大学院時代での心理的な変化
Ⅳ. 入社してからのギャップ
Ⅴ. 今後の方向性

 

Ⅰ.物事を選ぶときの4つの軸

ここでは、物事を続けるために重要な4つの軸を紹介したい。就活や受験校選び、仕事選びでも共通している軸だと思う。理由は、4つの軸が特に、組織を選ぶという意味において重要な意味をもつ軸だから。4つの軸とは次の通り。

【4つの軸】

  1. 仲間(同期、上司)
  2. 自分が愛せること
  3. 目指すべき姿
  4. 自己管理の度合

ご覧の通り、ごく当たり前の軸である。重要なのは、この軸の2つ以上が大きくかけるとやる気度や幸せ度合が低下するものだと思う。やる気度や幸せ度合は数値化するのは難しいが、あえて定義するとすれば、朝起きた時~~にいきたくない(例えば:仕事)と思った日が月あたり何日あったかで測定してもよい。幸せ度合の低下というのは、具体的には物事が続かないという確率が上がるという意味である。

4つの軸で大切なのは、(1)軸に優先順位を付けること、(2)軸は独立であることだ。どれも大切であることは間違いないし、すべて満たせるものがあればベストである。しかし、現実的にはそんなものはないし、どこかで妥協するしかない。軸を独立と考えることによって、自己の好き嫌いをごっちゃまぜにしないで考えられる。

軸の優先順位をつける方法として分かりやすいのは、これまでの意思決定をロジックツリーに落とし込む方法だと思う。これまで、自分が意思決定したこと(=体験)について、興味があり実行したこと、興味はあったがしなかったこと等々について書き出す。具体的な体験まで書き出すことが出来たら、それぞれの体験が楽しかったかそうでなかったのか書き入れてみる。その次に、それぞれの体験についてなぜ楽しかったのか「理由」を項目別に書き出す。項目というのは、上の4つの軸を当てはめて考える。そうすると、自分が楽しいと思える体験を導くためにどの軸が最も重要か見えてくる。

このエントリーを書いている当の本人は、仕事選びにおいて2.自分が愛せること4.自己管理の度合に対する認識が圧倒的に甘かったと言わざるを得ない。裏を返せば、自分の軸では語れない「3.目指すべき姿」に惑わされすぎたとも言える。

以下では、順を追って、なぜこのような認識不足に陥ったのか原因を紹介したい。

 

Ⅱ. コンサルティングファームを選んだ経緯

この章では、目指すべき姿に捉われすぎた原因について、コンサルティングファームを選んだ経緯から考えていく。就職先として、数多ある企業の中から最初にコンサルティングファームを狙い撃ちしていたわけではない。メーカー(機械、素材、自動車、、、)、銀行、広告代理店、シンクタンク等いろいろ見て回った。これといって好きなものも特にないし、1つのことを続ける会社は無理だと思った。スーツで○○ビルの高層階で働きたいとも思っていた。仕事選びで、社会ウケが良さそうという理由を重視した。2つ目は、お金。お金が良ければ、生活の質が高くなると思っていたし、稼いだお金を寄付することで、ある種の社会貢献活動にも資金という点で積極参加できると考えていた。金回りの良さが、共同生活、家族、すべてに良い意味での影響だけをもたらすもんだと考えていた。そんなことを考えて就職活動していたら運よくコンサルティングファームから内定が出た。内定が出たときは、すごく嬉しかった。嬉しかったのは、上述した2つの理由が満たされそうだからだ。今思えば、この選択は、本当の意味で自分が実現したいこと楽しいと思えることという軸が全くないものだったと思う。あくまで他人の評価軸が基本である。何を隠そう昔から自分からも他人からもわかりやすいキャリアを選ぶことが、家族の幸せと安心に繋がると考えていた。ジョハリの窓でいうところの「公開された窓」をひたすら追求することで他人からの承認第一に生きてきたということだ。この裏返しが、自分の軸がない3.目指すべき姿の選択へと繋がったのである。

そもそも就職活動に入る前の段階のことも触れておくべきだろう。修士で研究をしているときには、研究室が好きではなかった。研究室との相性が悪かったということだ。完全放置型かつ研究室内の人間関係が最悪という状況で研究室、ひいては研究からも身を引きたいと思っていた。研究室における雰囲気、人間関係を好まないことと研究対象への愛着は別に本来考えるべきであるが、この時は憔悴していてそれどころじゃなかったんだと思う。

 

Ⅲ. 大学院時代での心理的な変化について

このような思考で就職活動、研究続けていたが、無事にコンサルティングファームに内定が出た。普通、内定が出た後はほっとしたり、安心できるものだと思うが自分はそうではなかった。妙な緊張感の高ぶり(ネガティブな意味)を感じて安心していられなかった。自分の中で楽しいと思うことをひたすら抑圧し続けて、次へ進むことを決めてしまったからかもしれない。2014年5月くらいだったか、緊張感が解れない心理状態だったので、1ヶ月休息を取った。はじめのうちは、大学のカウンセリングの人にこんな就職しましたとか話を聞いてもらって、家ではゲームやったりしてのんびり過ごしていた。自分のやりたいと思えることが出てくるまで、何もしない作戦である。そんなとき、漫画版「神々の山嶺」を読んだ。本の中で、羽生が谷川岳に挑戦するシーンを見て、谷川岳の一ノ倉沢を見に行ってみようとなった。NHKのグレートサミッツは好きだったし、昔から山を見たらトレッキングをしてみたいと思っていたから、割と自然な流れだと思う。そして、実際に見に行ったときの雄大さ、美しさは半端じゃなかった。心に響くものを感じるということを実感した。この影響があってか、2週間後、友人と一緒に西黒尾根から谷川岳のピークまで登った。この登山を通じて、自分の感覚に正直に動くことはこんなにも楽しいことなんだと思ったのをよく覚えている。この感覚が芽生えて、自分の中から湧き出てくる感覚を大切に生きていこう、そのための手段として内定をもらった仕事があるんだろうと感じるようになっていた。

友人の影響も大きかった。友人は、オーストラリアで育って、オーストラリアの大学を休学して日本で働いた後に日本とフランスでデュアルディグリーを取得した人物。自分で作った枠にとらわれないで、自分の選択を重ねる人物だった。その友人と同じ時間を過ごす中で、基本的に自分の人生は自分で決めるものであって、自由で楽しいものなんだと知ることが出来た。

この時期以来、山のアクティビティをライフワークにするための資金源として仕事をしようと思うようになった。

 

Ⅳ. 入社してからのギャップ

 ギャップがどんなところにあったのかを説明するにあたって、まずプロフェッショナルとは何かについて個人的な考えを述べておく。「結果」を出して、適切な対価を要求できるのがプロフェッショナルであると思う。そして、「結果」のためには労を惜しまず、寝ても覚めても「結果」を考えたくなる人間がプロフェッショナルとして生き残るのだと思う。言い換えれば、仕事の内容が好きだからこそ、プライベートの時間という概念も吹き飛んでいくのだと思う。

一方、自分がコンサルティングの仕事に求めたことは、他人からの羨望の眼差しであり、趣味・生活のための給与であった。その一方で、コンサルタントの仕事はプロフェッショナルであることを求めるのであるから、自分には全くフィットしない環境であると感じていた。つまるところ、生活のための仕事をもとめていたのであって、仕事のための生活には耐えられないという意味だ。持ち帰り残業が多かったとか給与水準が他より良いとは言えなかったという理由も言えるが、一番の理由は仕事とのマッチングがよくなかったということだ。この点は自分の認識不足だった。凄まじい拘束力があれば別だが、自分の軸で好きと言えないものは人間続かないものだと身をもって体感した。

会社の同期と先輩は皆面倒見がよく感謝の限りである。同期にはいろいろ愚痴を聞いてもらったり精神的に支えてもらったことも多く、素晴らしい同期に会えたことが何よりも素晴らしい体験であった。

 

Ⅴ. 今後の方向性

寝たくても眠れないし、夜中に「うひょー」みたいな寝言を言ってた(らしい)ので、精神的にも続けていたら限界に達すると感じた。体調を崩してまで、自分の人生を会社に捧げるつもりはないので、退職を決意した。後悔は全くない。本当の意味で2. 自分の愛せることが見つかったからだ。そのための1. 仲間を探している段階だ。収入という面でも、会社の名前という面でも回りの人からは「何で辞めるの?もう少し我慢すれば?」と言われる。それも一理ある。だけど、自分の人生を感じられるのは自分一人称のスケールでしかないわけで、自分の感覚と他人が考えたロールモデルを比較して優劣つけること自体おかしいことだと思う。今後、上手くいくか分からないけど、愛せることを見出せた以上、それに全力で力を注ぎたいし、そのために生活していきたい。