思考の基本は、描像と言語
自分のなかで最近非常に大きな課題がある。
思考力を強化し、効率的に伝えるためにはどうしたらいいだろうかということ。
先輩や同輩でも頭の回転が速く、「そういう切り口ってあるのか!!」と気づかされることも多い。
ディスカッションをしていても、あとで思い返せばこんな風に切り返しておけば良かった、なんであの時気づかなかったなどと後悔することも多い。
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思考というものを定義すると、
①問を立てて、
②物事を比較して
③解決のための答えを出す(=自分の主張を行う→言語化する)
というシンプルな構造だと私は思う。
適当に言葉遊びをしているだけの人と物事の実態を捉えている人の違いは①、②の違いにある。なぜ実態を捉えられるのかと考えてみると、物事が起こる現場を具体的な描像として頭の中に思い浮かべられるからではないかと思う。
描像があり、なおかつその描像がパラパラ漫画のように動きながら次の形式が頭に浮かぶ。単に写真を眺めるようなものではなく、起こりうるストーリーがそこに成り立つのだ。
だからこそ、比較するべき項目の抜け漏れも少なくなる。
とある大手財閥系の製造メーカーの人と話していた時に、聞いたこととつながる。聞いた話だと、「工場の管理の話でもなんでも、まず自分たちは漫画を描くようにしている。そのうえで言葉で表現して合意を得ていくのだ」という話だ。
まさしく、描像と言語化のプロセスである。
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思考を深めるためには、描像だけを描いていればいいかというとそうではない。
描像は具体性を捉えやすい一方で、瞬時に記憶から流れてしまう。流れてしまうから、頭にとどめようと思うと、今度はそればかりになってしまい、次に起こることまで想像が進まない。
だからこそ、「書きだす」という行為がある。「書き出す」ことで流れてしまう一瞬の描像が文字になり、外部記憶に留められる。
すなわち、言語化することで描像がより自由に描けるようになるのだと思う。言葉にすることで、逆に描像をより細かく想像することにもつながる。そして言語にできていない描像はないかというチェックにもなる。言語化しなければ他人にはなかったものになってしまう。
描像を踏まえて、言葉を紡ぐとメッセージはよりシンプルで切れ味がよくなるのではないか。
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思考を深めるための方法として、
①. 描像を頭に浮かべながら言葉を書き出す
⇒思考を深め、仮の答えまで出してみる。
②. 漫画を書きながら、描像の次の展開や抜け漏れを考える。
⇒思考の前提をチェックする。
③. 描像に関係ありそうな”現場”の様子を見にいってみる。できれば関係者の話も聞く。
⇒描像が本当に正しいのか検証する。描像を深めるためのヒントを得る。
⇒ただし、①を行う前にも軽くやりたい。情報がない中での思考は妄想に過ぎない。
④. 言葉にするときには、「私は~~だと思う」という形で主張してみる。
⇒あえて主張の形式を強調することで、言語化を促す。
⇒私の場合は、主張をすることも練習しなくてはいけない。分からないことを分からないと主張することも練習の一つだと思ってきちんと伝える練習が必要なのだ。
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色々な図解術とかわかりやすい文章とかは、上記のことがきちんとできる人が使うとより活きてくる技術なのだと思う。
表層的なテクニックに流されて試行錯誤しては、伝わらないなという課題を私が抱えていたのは当然の帰結なのだ。
すぐに思考力が上がるわけではないが、日々の積み重ねで思考力を強化し、より良く伝わる言葉を紡げるようになりたいと思う。