歯医者の請求書はきちんとチェックしましょう

目次

0.目的:本エントリーをなぜ書いたのか?

1.エントリーの概要:歯医者の請求には気をつけよう

2.詳細:具体的な歯医者とのやりとり

3.今後の動き:歯医者への対応方法

0.目的

みなさんも歯医者に行かれることがあると思う。

マスピースを作るための近所の歯医者に行ったのだが、ありえないほどの過剰請求をされたのでまとめておく。

 

1.【概要】

マウスピースを作りに型取りに行ったら、受けていない画像診断、処置、検査料金が追加されていた。本当に歯型をとっただけで基本歯周検査も処置もしていない旨を伝えたら請求額が修正されて4分の1になった。請求書兼領収書を確認していなければ、不正請求に引っかかるところだったのでみなさんも気をつけよう。

google検索で出てくるレビューで星4.1くらいの歯科医院だったが、ほとんどやらせレビューであったのだろう。

 

2.【詳細】

マウスピースを作るために歯型を取りに行った。歯の磨耗を目視したのち歯型をとるための作業をする。これが当日の作業の全て。

受付に呼ばれて請求額を確認したら、5000円くらいの請求で驚愕した。画像診断に400点ほど追加されていた。ここからのやりとりは以下のよう。

私:「この画像検査はなぜついているのですか?確認してください」

受付:(確認しに行く)「すみません、こちらの行き違いで付いていました」

私:「処置の点数も少し減っていますがなぜですか?」

受付:「実際には行っていないクリーニング費用が付いていました」

私:「.。oO(検査で200点ってのもわからんが)承知しました、一旦お支払いします」

 

帰宅した後、検査の内容を調べてみた。どうやら検査という項目で200点がついているのは基本歯周検査というものらしいことが分かった。プローブを使って出血などの検査は何もしていないので、検査200点も恐らく過剰請求であろうことが疑われた。電話で話しても埒が開かないと思うので、今一度病院に伺って以下のやりとりをすることにした。

 

私:「さきほど点数に誤りがあると仰っていたので、検査200点も誤りでないか確認して頂けませんか?基本歯周検査に該当する検査は受けていませんが、どのような検査が該当しているのでしょうか?カルテを確認させて頂いて、検査点数の対応関係を確認させて頂けませんか?」

受付:「先生に確認してみます」(先生のところに行く)

”ここで先生が現れる”

先生:「点数のつけ方で先ほどは行き違いがありすみませんでした。検査の200点はぐらつきの検査をしたからです。」

私:「200点というと基本歯周検査という認識でよろしいですよね?基本歯周検査だとプローブを使って検査だったと思いますが、行っていませんでした。200点はどのような点数のつけ方なのか今一度ご説明いただけませんか?」

先生:「それでは今から検査しましょうか。そうすれば、請求額はこのままで検査をさせて頂けますので。」

私:.。oO(ここで検査の事実を作られて過剰請求を正当化されても嫌だな。検査は次回にして今回は請求額を修正してくれという交渉にしよう)「これから出ないといけないので、追加検査は難しいです。今回の検査をするという分は、次回の来院の時に点数をつける形にして頂けませんか?マウスピースの調整の時にも検査をする形にする方が二度手間にならないと思いますがいかがでしょうか。今回は請求額を修正して頂きたいと思います」

先生:「少し相談してきます」(院長と思しき人に話しに行く)

先生:「点数は修正できますので、今一度お待ちください」

”再々会計を待つ”

受付:「修正された金額は1200円になります」

この時点で明細をみると処置、検査が0点になっている。つまり修正可能なものを過剰に請求していたというのが明らかになった。

 

3.【今後の動き】

今回の費用1200円は初診料金を含んだ勉強代として妥協する。再診に伺うと伝えたが次回は行かない。大きな理由は受けてもいない診療行為を加算されて過剰請求されるからだ。受付の女性もまともな受け答えできない人なので、コミュニケーションコストがかかりすぎる。

 

 

 

 

ジオラインは使いやすい

最近、エアコンの風邪が直撃する場所で寝ていたせいか喉風邪をひいてしまった。昼間は咳もそんなに出ないけど、夜になると咳が止まらなくて寝れなくなる。エアコンに当たるのもの気持ち良いけど、ほどほどにした方がよさそうですね。

風邪に関連して汗冷えの話をちょっとだけ。今の季節、湿度が高い日は10分歩いただけで上半身が汗だくになることが日常茶飯事で、濡れた状態でエアコンの効いた部屋に入ると、汗を吸ったアンダーウェアが肌に張り付いて恐ろしいほど寒くなる。いわゆる汗冷えってやつ。汗を拭いて着替えるのが最も効果的な対処法なんだけど、アンダーウェアをモンベルのジオラインに変えたら結構よかったので、少しだけ紹介したい。今までは、無印良品の涼感インナーっていうやつを使っていた。  

涼感インナー | 無印良品ネットストア

 綿100%でサラッとした着心地が気持ち良いんだけど、汗をかいた時にすぐに乾かないからとにかく冷えて困っていた。そんな時、ふと山登りで使うインナーを普段使いにしてもいいのではと思って使ってみたのが最初のきっかけ。汗を大量にかいてしまった時には、モンベルのジオラインでも汗冷え感は当然あるけど、綿のインナーよりはかなり冷え感は少ない。それに乾きも早いから多少汗で濡れても、涼しい場所に移れば汗が引くのが早い。クールメッシュタイプのジオラインもあってどっちも使っているけれど、乾き自体はクールメッシュの方が断然早い。洗濯して脱水したらほとんど乾いてるくらいの感覚。それゆえに、生地自体もザラっとした着心地で決して肌触りはいいわけではないし、汗を吸ってくれる感覚も少ない。ただ、着替えを持っていなくて汗を大量にかくような場合には、クールメッシュの方が使い勝手はいいと思う。汗を多少拭き取ってしまえば、あとはアンダーが上に着ているシャツと肌が汗で張り付くのを防止しながら自然と乾いてくる。

モンベル | オンラインショップ | ZEO-LINE® ジオライン®

https://webshop.montbell.jp/common/images/product/prod_k/m_k_1107607_bk.jpg

インナーにデザイン性を求める人以外であれば、ジオライン各種は機能的には素晴らしいのでおすすめ。

相談すると道は開ける(かも)

タイトルが恋人づくりのためのお題目みたいになってしまった。

言いたいことは、「相談してみると案外チャンスは転がってる」ということ。そういう意味では、恋人づくりと共通してはいる。

ちなみに、自分は今後やるべきこと・やりたいことを考えると一人で抱え込んで悩んで、勝手に出来ないかもとか判断して消極的になる人物。今でも割とその傾向があるかもしれないけど、自分で考えた仮説は、その道の詳しい人に話したり、相談することで検証しようっていうスタンスになった。

独力で情報を収集・整理して考えるプロセスは行った方がいい。自分自身のことを1%でもいいから理解することが、その後の行動を支える原動力になると思う。自分自身を理解するというのは、好き嫌い、自分のしたいこと、できること、将来の夢みたいなものを書き出して自分の軸を把握すること。直感的に感じる軸も大切にした方がいい。例えば、〜〜なものは本格的には楽しめないと感じるとか。その上で人生ハッピーになれそうな選択肢を明確にできたら、相談して選択肢と軸の一致性を検証する必要がある。

新しいことに挑戦するなら、【相談】するのがいいと思う。相談する場合には、「正しい人」を選ぶことが大切。いろいろな意見を聞きたいから色んな人に意見を聞くっていうのも方法だけど、一番自分の疑問に答えてくれる人が誰なのかをよく考えることが大切だと思う。自分の疑問に一番関わりの深い業界の人に聞くのがまずは正攻法だと思う。業界に精通した人に相談すると、自分の当初想定とは異なる業界の楽しさ・課題がことが出てくるのが一つ目のメリット。二つ目のメリットは、実際に自分が取り組んだ時のイメージが明確にできること。イメージとは違ったなんてことは良くある、というかないとおかしい。だからそこ、相談の段階で実際に現場を見せてくれるかは聞いておいた方がいいかも。三つ目のメリットは、想像もしていなかったチャンスが出てくることがある。どこどこの研究所で人を募集してて、今採用の相談が来てるけど、興味ある?みたいな感じで、考えてもいなかった選択肢が現れる。その選択肢を選ぶか、選ばないかは自分の軸に沿ってきちんと判断した方がいいけど、選択肢の幅・可能性が広がるっていう意味ではかなり意味があると思う。四つ目のメリットは客観的視点が得られること。自分では最高の選択だと思ってても、側から見たら過去と同じ選択でまた同じ過ちに突っ込んでるのが明らかな場合がある。自分自身のアウトプットイメージは自分で作った後に、他の人にチェックしてもらうと意外と抜け落ちてる視点が補完される。

必ずしも全ての部分で一般化できる話じゃないかもしれないけど、相談するっていうのは悪い事でないと思う。相手にこんな風にみられそうで恥ずかしくて相談できないっていう感覚もあるかもしれないけど、逃す可能性のあるチャンスを考えれば、絶対に相談するべき。そもそも、相談できる相手を一人でも持っておくっていうのは大切かな。その一人を核にしていろいろ紹介してくれたり、人間関係が広がるから。

自分自身もまだ今後何するのか若干迷ってる部分もあるけど、相談しながら明確していけたらいいかなと思ってる。

 

会社を辞めた話

当エントリーの概要

売り手市場の就活市場において、新卒で某コンサルティングファームに入社するも自分の望む労働環境とはかけ離れており、退職することを決意した。物事を選択する際の失敗例として反面教師にして頂くことが本エントリーの目的である。

当エントリーの目次

Ⅰ. 物事を選ぶときの4つの軸
Ⅱ. コンサルティングファームを選んだ経緯

Ⅲ. 大学院時代での心理的な変化
Ⅳ. 入社してからのギャップ
Ⅴ. 今後の方向性

 

Ⅰ.物事を選ぶときの4つの軸

ここでは、物事を続けるために重要な4つの軸を紹介したい。就活や受験校選び、仕事選びでも共通している軸だと思う。理由は、4つの軸が特に、組織を選ぶという意味において重要な意味をもつ軸だから。4つの軸とは次の通り。

【4つの軸】

  1. 仲間(同期、上司)
  2. 自分が愛せること
  3. 目指すべき姿
  4. 自己管理の度合

ご覧の通り、ごく当たり前の軸である。重要なのは、この軸の2つ以上が大きくかけるとやる気度や幸せ度合が低下するものだと思う。やる気度や幸せ度合は数値化するのは難しいが、あえて定義するとすれば、朝起きた時~~にいきたくない(例えば:仕事)と思った日が月あたり何日あったかで測定してもよい。幸せ度合の低下というのは、具体的には物事が続かないという確率が上がるという意味である。

4つの軸で大切なのは、(1)軸に優先順位を付けること、(2)軸は独立であることだ。どれも大切であることは間違いないし、すべて満たせるものがあればベストである。しかし、現実的にはそんなものはないし、どこかで妥協するしかない。軸を独立と考えることによって、自己の好き嫌いをごっちゃまぜにしないで考えられる。

軸の優先順位をつける方法として分かりやすいのは、これまでの意思決定をロジックツリーに落とし込む方法だと思う。これまで、自分が意思決定したこと(=体験)について、興味があり実行したこと、興味はあったがしなかったこと等々について書き出す。具体的な体験まで書き出すことが出来たら、それぞれの体験が楽しかったかそうでなかったのか書き入れてみる。その次に、それぞれの体験についてなぜ楽しかったのか「理由」を項目別に書き出す。項目というのは、上の4つの軸を当てはめて考える。そうすると、自分が楽しいと思える体験を導くためにどの軸が最も重要か見えてくる。

このエントリーを書いている当の本人は、仕事選びにおいて2.自分が愛せること4.自己管理の度合に対する認識が圧倒的に甘かったと言わざるを得ない。裏を返せば、自分の軸では語れない「3.目指すべき姿」に惑わされすぎたとも言える。

以下では、順を追って、なぜこのような認識不足に陥ったのか原因を紹介したい。

 

Ⅱ. コンサルティングファームを選んだ経緯

この章では、目指すべき姿に捉われすぎた原因について、コンサルティングファームを選んだ経緯から考えていく。就職先として、数多ある企業の中から最初にコンサルティングファームを狙い撃ちしていたわけではない。メーカー(機械、素材、自動車、、、)、銀行、広告代理店、シンクタンク等いろいろ見て回った。これといって好きなものも特にないし、1つのことを続ける会社は無理だと思った。スーツで○○ビルの高層階で働きたいとも思っていた。仕事選びで、社会ウケが良さそうという理由を重視した。2つ目は、お金。お金が良ければ、生活の質が高くなると思っていたし、稼いだお金を寄付することで、ある種の社会貢献活動にも資金という点で積極参加できると考えていた。金回りの良さが、共同生活、家族、すべてに良い意味での影響だけをもたらすもんだと考えていた。そんなことを考えて就職活動していたら運よくコンサルティングファームから内定が出た。内定が出たときは、すごく嬉しかった。嬉しかったのは、上述した2つの理由が満たされそうだからだ。今思えば、この選択は、本当の意味で自分が実現したいこと楽しいと思えることという軸が全くないものだったと思う。あくまで他人の評価軸が基本である。何を隠そう昔から自分からも他人からもわかりやすいキャリアを選ぶことが、家族の幸せと安心に繋がると考えていた。ジョハリの窓でいうところの「公開された窓」をひたすら追求することで他人からの承認第一に生きてきたということだ。この裏返しが、自分の軸がない3.目指すべき姿の選択へと繋がったのである。

そもそも就職活動に入る前の段階のことも触れておくべきだろう。修士で研究をしているときには、研究室が好きではなかった。研究室との相性が悪かったということだ。完全放置型かつ研究室内の人間関係が最悪という状況で研究室、ひいては研究からも身を引きたいと思っていた。研究室における雰囲気、人間関係を好まないことと研究対象への愛着は別に本来考えるべきであるが、この時は憔悴していてそれどころじゃなかったんだと思う。

 

Ⅲ. 大学院時代での心理的な変化について

このような思考で就職活動、研究続けていたが、無事にコンサルティングファームに内定が出た。普通、内定が出た後はほっとしたり、安心できるものだと思うが自分はそうではなかった。妙な緊張感の高ぶり(ネガティブな意味)を感じて安心していられなかった。自分の中で楽しいと思うことをひたすら抑圧し続けて、次へ進むことを決めてしまったからかもしれない。2014年5月くらいだったか、緊張感が解れない心理状態だったので、1ヶ月休息を取った。はじめのうちは、大学のカウンセリングの人にこんな就職しましたとか話を聞いてもらって、家ではゲームやったりしてのんびり過ごしていた。自分のやりたいと思えることが出てくるまで、何もしない作戦である。そんなとき、漫画版「神々の山嶺」を読んだ。本の中で、羽生が谷川岳に挑戦するシーンを見て、谷川岳の一ノ倉沢を見に行ってみようとなった。NHKのグレートサミッツは好きだったし、昔から山を見たらトレッキングをしてみたいと思っていたから、割と自然な流れだと思う。そして、実際に見に行ったときの雄大さ、美しさは半端じゃなかった。心に響くものを感じるということを実感した。この影響があってか、2週間後、友人と一緒に西黒尾根から谷川岳のピークまで登った。この登山を通じて、自分の感覚に正直に動くことはこんなにも楽しいことなんだと思ったのをよく覚えている。この感覚が芽生えて、自分の中から湧き出てくる感覚を大切に生きていこう、そのための手段として内定をもらった仕事があるんだろうと感じるようになっていた。

友人の影響も大きかった。友人は、オーストラリアで育って、オーストラリアの大学を休学して日本で働いた後に日本とフランスでデュアルディグリーを取得した人物。自分で作った枠にとらわれないで、自分の選択を重ねる人物だった。その友人と同じ時間を過ごす中で、基本的に自分の人生は自分で決めるものであって、自由で楽しいものなんだと知ることが出来た。

この時期以来、山のアクティビティをライフワークにするための資金源として仕事をしようと思うようになった。

 

Ⅳ. 入社してからのギャップ

 ギャップがどんなところにあったのかを説明するにあたって、まずプロフェッショナルとは何かについて個人的な考えを述べておく。「結果」を出して、適切な対価を要求できるのがプロフェッショナルであると思う。そして、「結果」のためには労を惜しまず、寝ても覚めても「結果」を考えたくなる人間がプロフェッショナルとして生き残るのだと思う。言い換えれば、仕事の内容が好きだからこそ、プライベートの時間という概念も吹き飛んでいくのだと思う。

一方、自分がコンサルティングの仕事に求めたことは、他人からの羨望の眼差しであり、趣味・生活のための給与であった。その一方で、コンサルタントの仕事はプロフェッショナルであることを求めるのであるから、自分には全くフィットしない環境であると感じていた。つまるところ、生活のための仕事をもとめていたのであって、仕事のための生活には耐えられないという意味だ。持ち帰り残業が多かったとか給与水準が他より良いとは言えなかったという理由も言えるが、一番の理由は仕事とのマッチングがよくなかったということだ。この点は自分の認識不足だった。凄まじい拘束力があれば別だが、自分の軸で好きと言えないものは人間続かないものだと身をもって体感した。

会社の同期と先輩は皆面倒見がよく感謝の限りである。同期にはいろいろ愚痴を聞いてもらったり精神的に支えてもらったことも多く、素晴らしい同期に会えたことが何よりも素晴らしい体験であった。

 

Ⅴ. 今後の方向性

寝たくても眠れないし、夜中に「うひょー」みたいな寝言を言ってた(らしい)ので、精神的にも続けていたら限界に達すると感じた。体調を崩してまで、自分の人生を会社に捧げるつもりはないので、退職を決意した。後悔は全くない。本当の意味で2. 自分の愛せることが見つかったからだ。そのための1. 仲間を探している段階だ。収入という面でも、会社の名前という面でも回りの人からは「何で辞めるの?もう少し我慢すれば?」と言われる。それも一理ある。だけど、自分の人生を感じられるのは自分一人称のスケールでしかないわけで、自分の感覚と他人が考えたロールモデルを比較して優劣つけること自体おかしいことだと思う。今後、上手くいくか分からないけど、愛せることを見出せた以上、それに全力で力を注ぎたいし、そのために生活していきたい。

【備忘録】Macbook proのHDDを交換した話

Macbook proのHDDを交換したからそのメモ。
参考にしたwebページはこれ。

入れ替えたHDDは、これ。
内蔵モバイル・ストレージおよびノートPCドライブ | Seagate

玄立は、2.5インチHDDを接続するためだけに使った。2口あるけど、HDD1の接続口だけを使った。
一番難しかったのは、Macbookの裏蓋をはずす作業かな。ゆっくり外せばなんてことないけど。

美食と娯楽

18日19日と出かけたから、その記録でも書こうと思う。

18日は、沼津に行くことにした。沼津は、今まで電車で一回通過したことがあるけど、下車したことはない。沼津港深海水族館にも行ってみたかったから、思い切っていってみることに。電車で、東京から2時間30分くらいで沼津駅に着く。電車も空いてたから沼津まで座って行けた。到着したときに沼津はこんな感じ。

駅前に新しいマンションらしき建物があるけど、人はまばらだった。駅直結のスーパー?みたいなところは若干賑わってた。
駅に着いたときには、すでに沼津港行きのバスは出た後だったから、沼津港までは徒歩で行くことにした。徒歩でも30分くらいだし、天気もよかったから気持ちよかった。30分なんてあっという間で、すぐに沼津港水族館に着いた。

スマホでクーポン画面を見せて、一人100円引きにしてもらってからいざ中に。いきなり見えるのは、ダイオウグソクムシ新江ノ島水族館でみたやつより、はるかにでかかった。メロンパン2つ分みたいな感じ。その後には、イカとかヒカリキンメダイの水槽をみた。水槽は真っ暗な中で半円形の水槽を泳ぐヒカリキンメダイたちは幻想的だった。後半は、シーラカンスの展示を見た。心なしか展示の作り方とかシーラカンスのおじいさんキャラクターがディ○ニーを意識しているように感じたのは気のせいだと思う。シーラカンスには普通の魚みたいな脊椎骨はなくて、液体で満たされた脊柱があるだけっていうのが衝撃的だった。80kgのサイズでも脳みそも5gくらいしかなってのもまたすごい。シーラカンスの鱗を触れるのが、他にはない展示で面白いと思った。

他に衝撃的だったのは、ゴキブリ。

深海水族館を見たあとは、近くの回転寿しで昼ご飯にした。水族館は、港八十三番地っていう飲食店やらなんやらが集まってるところにあるから、寿司屋もすぐ近くにある。寿司屋では、”沼津”っていうセットを頼んだ。どのネタもおいしかったけど、初めて食べた生の桜えびが一番印象に残ってる。その他にも、しらすアイスとか、深海魚の小魚の揚げ物とかいろいろあったけど、お腹いっぱいになったから、今回はスルーした。食べた後は、「びゅうお」っていう水門兼展望台に行った。入場料は、100円。曇ってたから、あんまり景色は良くなかったけど、晴れてる日は富士山が奇麗に見えるらしい。

3時間くらいあれば、水族館みてぶらぶらしてご飯たべるのに十分だと思う。一旦、大船のホテルに戻った後は、鎌倉で夕飯にした。行ったのは、Pizza dadaっていうところ。クスクスのサラダ、カツレツ、ピザ3枚+飲み物+デザートを頼んだ。マリナーラっていうピザがおいしかった。エスプレッソがかかってるバニラジェラートも美味しかったけど、自分は、チョコレートジェラートを食べた。

そんで、次の日は、空気公団のライブにいった。ライブ会場は、鎌倉文学館の屋外中庭。青い花ゆかりの地!この要素だけで、テンションあがります。会場に40分前くらいに着いた時は、人はまばらだったけど、公演10分前になると、中庭がいっぱいになってた。曲目は、青い花、あなたはわたし等々いろいろあったけど、特筆すべきはライブの雰囲気。鳥の鳴き声とか子供が遊ぶ声とか全部が曲の一部みたいで、空気公団の世界観に包まれるような感じだった。ライブが終わった後は、物販スペースでグリーンピースくんのiphoneケースを買った。空気公団のメンバーがいたからサインしてもらおうかと思ってたら、機を逸してしまった。サインは、今度でいいかな。

ライブ後は、江ノ島に行く予定だったけど、寒くなってきたから鎌倉に戻ってご飯を食べることにした。ご飯は、鎌倉どんぶりカフェbowlsで食べた。期間限定の豚肉のどんぶりは、なかなか美味しかった。

ご飯を食べた後は、グリーン車で帰宅。グリーン車は楽で良い。
そんな感じで、2日間を過ごした。やっぱり鎌倉はいいね。また行きたくなった。

博士課程のこと

博士進学のことを書いてみようと思う。博士進学の記事はいろんな人が書いてるから自分が改めて書く意味もあまりないかもしれないけど、自分のための備忘録ってことで書いておく。

学部生のころは研究者志望で博士進学は当然だと思ってた。もちろん日本じゃなくて米国の大学院でPh.Dを取りたいなとも考えていた。研究者を志望していた理由は、単純に自分が専攻している物理が面白いと思ったから。学部生のころレポートを書いて、テストを受けて、分からないところを調べてっていうのをひたすらやる分には、博士進学についてはなんとなく、そのまま進学するんだろうなとしか思っていなかった。他のことを考える暇もなかったっていうのが正しいかもしれない。
卒論研究がはじまったくらいから自分の時間も調整できるようになったあたりから、自分の気持ちというか何を目指して、何がエキサイティングなのかを探り始めた。物理は面白いっていう気持ちと同時に、せっかく人生の時間を使うのだから、自分が面白いし自分以外の生き物(ヒト以外の生物含む)にも良い影響が及ぼせるようなことをしたいなという感覚をもっていた。別に、卒論研究を始めたからそう思ったわけじゃなく、今思うと昔からこの感覚はあった。その感覚を学部生や院生初期のころは、きちんと言葉にもしなかったから、物理をやめて医者とか獣医になろうと思った時期もあったし、都市計画の分野に移ろうかとも考えていた。その一方で、基礎物理は工学じゃなく研究内容が人間と直接的に関わることはないから、どうにも自分のやっていることと自分の目指すことの間にギャップを覚えてしまった。ここのギャップが学部生のころから感じていたことだけれど、院生になって一層感じるようになった。もちろん、基礎研究に対しては、役に立つか立たないかなんていう議論は毛頭意味がないと思うし、寝ても覚めても物理をやりたいほど楽しいと思う人は絶対に極めて欲しい分野だと思う。けれど、結論から言えば自分はそうじゃなかった。

そういう違和感を感じてはいたけれど、学部生のころは、「まぁ、物理が面白いから同じ専攻でいっか」くらいで院試を受けた。つまり、ギャップを感じつつも物理は”面白い”と思っていた。自分にとってのこの”面白い”っていうものの正体が分かったのは、大学院に入った後だった。大学院で所属した研究室は、かなり自由で研究テーマも学生本人が興味あることを積極的にやらせてくれた。研究室は、自由で束縛プレーがない点は、良いけど研究テーマを自分で探さなくちゃならない。テーマ探しも含めて自由にやらせてくれている分には、まだ物理は”面白い”と思っていた。自分にとっての物理の”面白い”が判明したのは、他大学との合同研究会に参加した時だった。そこでは、学部生から博士課程、ポスドクの人が発表して先生も交えてディスカッションしていた。その人たち、特に博士課程よりシニアのポジションにいる人たちは特に議論を重ねていたように見えた。その光景をみて、「人の生き死に関わらないことで、なんでこんなに熱くなれるんだろう。いろんな解釈があるけど、人が死ぬ訳でもないし、金銭的な損失が生まれるわけでもないからどうでもいいじゃん」と思ってしまった。つまり、自分にとっての物理の”面白い”は、素人がテレビの宇宙番組を見て面白いっていうのと同じだと気づいた。物理の本を読むのは好きだったけど、それは単に誰かが導いて整備された結果を収集することが楽しかっただけだった。つまり、物理の研究作業に対しては、全く情熱がなかった。これは、次のことを想定したらより一層あきらかになった。

・指導教官がいなくなっても自分でテーマを設定できるか?それほどの情熱が物理に対してあるか?
・研究者のポジションがなくて、地方の大学でも研究を続けられるか?
・研究と給料の兼ね合いについて満足できるか?

答えは、すべてNOだった。自分でテーマ設定したくなるほどの情熱はないし、別にやらなくても誰かが死ぬわけでもないからモチベーションもない。あくまで、分かったことで面白くまとめられたものを教養として知るのが好きなだけ。これが、一つ目の答え。地方の大学に行ってでも研究を続けたいとは、思えなかった。研究が好きなのは、今のこの肩書きと所属があるからだと思った。これが、二つ目の答え。研究に興味がなくても給料が高ければ、頑張ってやるとは思うけど、薄給だったらやりたくないと思った。これが、三つ目の答え。少なくとも、物理の”研究”には向いていないと分かった。

昔は、物理をやれば遠回りにでも誰かの何かの役に立てるはずと思ってたし、技術を身につけることが生きていく上ので強みになると思ってた。実際には、その通りなんだろうけど、自分には何の役に立つのか分からないものに取り組める性格じゃなかった。技術とか制度の守備範囲の隙間に落ちている問題に対して取り組んで人のQOLを上げることに情熱を燃やす性格だからかもしれない。だから、上に書いたように物理の”研究”への興味はあっても情熱はないんだと思う。それに加えて、博士に進学しない理由は、他にもある。技術"だけ"を身につけるキャリアにしたくないと感じたから。大規模実験をやるような研究は、どんな感じになってるのか分からないけど、少なくとも自分の研究分野は、個人プレーの色合いが強い。それゆえに、研究は出来て技術も持っているけど、コミュニケーションを上手くとれない人が多いように感じた。コミュニケーションっていうのは、雑談が出来る能力から研究のことを議論したりポジションに応じた振る舞いが出来ることを指す。研究室だけで生きていくなら、コミュニケーションなんていらないのかも知れないけど、自分にはこんな生き方出来ないし、したくないと思った。技術"だけ"の人間になることは自分の目指すものと大きく違っていると感じた。研究に対する情熱はないし、だからこそ研究が仕事になった時、一緒に仕事したいと思うような仲間も見つけられないと思った。

だから、博士進学をしないで就職することにした。何より、研究とは関係のないポジションにいる人に上で書いたようなことをぼんやり相談したとき、「そう思うときが、社会にでるタイミングだよ」っていうコメントをもらったのが心を決めるきっかけになった気がする。物理の話を聞いて面白いと思うのは、昔も今も変わらない。物理を勉強してきた過程で身に付いたものもあるから勉強して良かったと思う。

やれば自然と好きになるっていうことよく言うけど、本来は、「実際にやってみると好きかどうか分かる」っていうのが正しい言い方のような気がする。
これから進路を選ぶ人に伝えたいことがあるとすれば、見栄や体面との兼ね合いで自分の興味あるものを選ぶより熱く語れるような自分の好きなものを選ぶようにするのが良いよって伝えると思う。まあ、よくありがちなおっさんの説教コメントみたいだけど、自分が体験してみるとこのコメントが一番しっくりくる。”こだわり”とか”やりがい”なんかをすべて捨てて、言われたことだけをやるっていうのも楽な道かもしれないし、もちろん、自分の価値観との兼ね合いなんだろうけど。

どこを就職先に選ぶかは、後で書くことにする。